SHONAN BEACH FM -NAGAMURA KOYO 長村光洋

湘南カチート 水曜23時 JUKEBOX 金曜17時 N盤アワー 月曜23時 のブログです。
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FMに祝いのワインを揃えていたらオタクになりそうだった
Beach FM  今日の日記から

かげがえのないビーチFMの15周年パーティに何かプレゼント
したいと思い,取り敢えずワイン屋へ足をはこびました。
「ありきたりのワインも平凡だなぁ~」 と思いながら棚を見ていたら
1993年ものが目にとまりました。
開局記念の年で,良い贈り物だと思い,まずは1本手にしたのですが、、、
でも1本じゃ寂しい、、、しかし1993年ものを何本も買うのはきつい。
結局,1993年から2008年まで5年おきに4本のワインを揃えました。

その日の夜,布団の中で、急に
「1993年から2008年まで全部揃うのかしら?」 と考え始め,
どうしても気になって次の日、店に戻りました。 ヴィンテージ物を
ワインクーラから探せば簡単ですが ,棚から年代順に見つけていくのは
大変なことです。 膨大な数の商品は年代順になど並んでいませんし,
ある年のものは無いかもしれないからです。 1993年から全部揃えなきゃ
意味がないので、だんだん目が血走ってまいります。 
その時に自分を客観的に見て気がついたのですが, これは中古レコード屋で
レコードを探している時の気持ちによく似ています。
もちろんワインとレコードは違うものですがコレクターとしては同じです。
物欲といってしまえば それまでですが そもそもプレゼントする物です。
見栄といえば、またまた それまでですが、、、。

最後に1994年のワインを見つけてビンゴした時の気持ちは,長い間探していた
廃番レコードに巡り合った時の気持ちと一緒で、
「これからコレクターになってしまおうか?」 と一瞬,思ったものの,
でも長年いじめてきた肝臓を気遣えば,やっぱり自分は音楽だけに留めてお
いた方が幸せでしょう。 

1993年から年代順に16本のボトルを並べると歴史を感じます。
ワインは,その年により当たり年と外れ年があります。
この15年の間,自分の人生を振り返ると,楽しいことも,辛いこともありました。
でも、ビーチFMのスタジオで音楽を流している時の自分は、、
もう、700回になりますが,いつも幸せな気分で一杯でした。

そう思うと,どんなお酒も美味しく感じるのです。
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by koyonagamura | 2008-12-18 19:19 | 日記 2007-2009
イタリア古典絵画教室の チョイ悪生徒 になりました。
Beachfm 今日の日記から  2008年10月22日

かれこれ40年以上付き合いのある友人が51歳で会社を整理して,
何を始めるのかと思ったら, 絵画教室を開いた。
同じ文具業界で20年以上も一緒に働いたのだが,妙に伝統的な文具にこだわりを
持つ人で,今のビジネス社会では旨く立ち回れないタイプだ。
自分の会社にいるよりもお茶の水の「レモン」とか新宿の「世界堂」
で画材を見る方が好きだったので、会社を倒産させずに無事に引退できたことは
人生一番の成功だったといえる。  ということで、今や先生である。

先生の専門はイタリアン古典絵画で、主にルネッサンス期までのテンペラ,フレスコ画
を得意とする。  膠なんかもグツグツ煮て作る,
まさしく「スロー・アート」である。

「生徒が少ないから来てくれ!」 
という理由で僕も絵を描くはめになった。
ドウッチョ、ジオットからミケランジェロ、ラファエロそしてカラヴァッジョ、、と,
その宗教を含む歴史と逸話の数々をここで書いたらきりがないが,
とにかく、この夏,イタリアへ旅行した際には,これが本当に役に立った。
イタリアの魅力とは「チョイ悪オヤジ」になることだけではないのだ、、、

さて、僕は今までこの「絵描きの先生」を文具ビジネスで変人社長だと思っていた。
ところが今はどうしたことか, いろいろな筆を手にしたり、絵具を使ったり、紙を選んだり
しているうちに自分が今まで文房業界(私は生まれも育ちも文具業界なのでした。)
でしてきたことが 何か間違いだったような気がいたします。。
文化と歴史を学ばず、これに貢献せず、数字を追って目先の利益に目がくらんでいたのです。
なんか、宗教画を勉強して突然、改心してしまった様なこと書いてますが、、、。
キャンバスの前で筆を握りながら、これからの自分の人生をどう描こうか考えているわけだよ。

 PS. 今度,ビーチFMの辻さんのイタリア古典音楽も観にいこうと思う。
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by koyonagamura | 2008-12-10 15:33 | 日記 2007-2009
夏の 海の家 で感傷にひたるオジサン。
2008年9月11日

この夏の大きな収穫は「森戸海岸」だった。葉山に来て14年になろうとして
いるのに,今まで浜辺でのんびりしたことなど一度もなかった。
会社の仕事が終わって車を飛ばして,番組開始10分前にスタジオに駆け込んで,
息が乱れてるから30秒深呼吸してトークを始める。そんな生活から
「葉山に早く着いてしまって夕食まで何もすることがないから,海へ行って日焼けでもしようか?」 という 半隠居ライフをすることになったのは今夏からだ。

浜辺でゴロンとしていると 「実は俺は旨くやれば,この瞬間だって稼いでいるだろうに、、。」
と思うのだが, さらにゴロンとしていると
「ぼくはー幸せだなぁー。」と思うだけで物欲が消えていく、、、

僕は森戸海岸のトタン屋根の普通の海の家が好きだ。 
ここの商売気の無いおばあちゃんと, 照りつける太陽の光と, 波の音の組み合わせは、
僕を子供の頃の日本にワープさせる。
一瞬、若い頃の両親が砂浜の向こうから歩いてくるをを見たような気がする。
あの時僕は足の着かない所に行くのが恐ろしく 怖かった、、、。 

一人で居るのはもったいないから東京から暇そうなオジサンを連れてきて海に放した。
裸足で砂浜を歩いてズボンを膝まで上げて海の中に入るのが気持ちいいと感動していた。
そんな当たり前のことを 僕等は忘れていたわけだ。
でも,彼の喜んでいる顔を見て僕も嬉しくなった。 来年もまた,ここに来よう。 

ある日,波の音を聞きながら瞑想に耽っていたら 何処からともなく昔懐かしい音楽が
流れてきた。 「今時,珍しいけど結構いい趣味しているじゃないか?」と思っていたら,
暫らくして湘南ビーチFMのジングルが耳に届いた。 「、、、、、、、、、。」

いつか,こんな人生のひと時を音にして番組を作れたらいいなぁ、と思った。
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by koyonagamura | 2008-12-09 15:18 | 日記 2007-2009
ついに、うちの息子がフジロックに挑戦
2008年8月22日

12歳になった息子がフジロックに行ってみたいというので,夏休みの
体力トレーニングも兼ねて小旅行を企画した。
僕が12歳だった夏は学校の登山キャンプで長野の山々を毎日20キロも歩かされ
足は豆だらけになるは大変な思いをした経験があるが, フジロックも3日間で
相当な距離を歩いている気がする。 コンサートは基本的にオールスタンディングだし,
相当疲労しているはずだが, 好きなことしてるから気がつかないだけだ。
2日目はフードスペースで過ごす時間がだんだん長くなっていく。
息子は屋台でメシを食っている時が一番幸せそうで,ライヴの最中はウトウトしている。
そりゃそうだ!昨晩寝たのは夜中の2時で 今日も朝からロック聴いてんだから、、。
これは12歳の子供には辛かろう。 3日目の午後には地元人も驚くほどの大雨が降った。
フジロックに雨はつきものだが,,流石に気力が失せ,息子と車で温泉宿に戻ることにした。
温泉に浸かりながら,
「我慢してでも最後まで会場にいなきゃいけなかったのか?無理しないで夏フェスを楽しむべきなのか?」二人で考えた。 結論はこうだ。
「雨にも負けず,風にも負けず,夏の暑さにも負けぬ、何のために疲れるのか理由もなく、
愚痴をこぼさず,好きな音楽を聴くために,何千歩も歩き、ただ,そこにロックの魂がある限り
最後までノッテいこうぜ! 俺達はそんなロックが好きだ!!」 
LET`S GO !!!
ということでゴムの長靴に履き替え,泥んこの会場に戻った。
(雨が止んだことも理由なんだが、)
そしてCSSやプライマル・スクリームで 我々の2008年のフジは燃え尽きた。

東京に帰って、しばらくして、息子の部屋に行ったらフジロック会場で配布した
3日間のライブスケジュールが壁に貼ってあった。くしゃくしゃになってねんきがはいっている。
このヨレヨレでボロボロのスケジュールに金メダルをあげようじゃないか。
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by koyonagamura | 2008-12-08 15:15 | 日記 2007-2009
おばあちゃんのスパゲッティ・ナポリターナ
2008年7月16日

最近の映画じゃないけれど,「僕が死ぬ前にしておきたい事」のリストを
作るとすれば,その中の1つに入れるであろうことは
「ナポリの青い空と海を肌に感じながら本場のスパゲッティ・ナポリターナと
ピィッヅァ・ナポリターナを食べることだ。」

僕が子供だった 昭和30年代,40年代,オ‐ドリィ・ヘップバーンがどんなに可愛かろうがここ日本じゃ ローマよりナポリの方が人気があったもんだ。
あの頃,イタリアが何処にあるのか皆目見当もつかない
「僕の千葉のおばあちゃん」は家に遊びに行くと中華鍋一杯のスパゲッティ・ナポリタン
を作ってくれたし、ハーゲンダッツができる前の高級氷菓子は「ナポリ」のアイスだった。
ナポリタンのトマトはケチャップでチーズは小学校の給食で出すようなやつを角切り
にしたものだ、アイスもジェラートじゃなかった、、。 それから少し大きくなってデートで
喫茶店行くと定番はケッチャプのナポリタンだった。
ラーメンのようにズルズル音を出すと嫌われると思っていたから静かに食べた,味は二の次だった。 
だから子供の頃「ナポリ」で育ったミーは今でも「ナポリ」に憧れがあるザンス。 
(これは、おそ松君のフランス語か??)

ということで,今回は本場のナポリターナを食べる為「ナポリ」に行ってきた。
実は, 以前「ポンペイ」に行ったときに, この夢は一回実現している。 しかし、
その時は「ローマ」から食事付のツーリストバスで行って,実は,大変残念ながら
美味しくなかった.。
それに,近いとはいえ「ポンペイ」は「ナポリ」ではない。
今回,友人のマリオは偽物ナポリターナで育った哀れな日本人の話を大変,
滑稽に思ったらしく注意深くレストランを選んでくれた。勤続30年以上の初老のウエィター
が何人もいる素晴らしいレストランだ。
千葉のおばあちゃんがスパゲッティナポリタンを作ってくれてから,僕がナポリに
子供と旅行にいくまで40年以上もかかった。
テーブルの上の本場のナポリターナと おばあちゃんの中華鍋のナポリタンが
重なって見えた。

、、、どちらの味も大切な宝物だ、、、
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by koyonagamura | 2008-12-07 16:16 | 日記 2007-2009
父 レスター パンコーストの「 真夏の夜のJAZZ 」
「夏フェスの思い出、、、」
2008年7月24日

1966年の夏の夜でした。
私の家はフロリダ州マイアミのココナッツグローヴという海辺の小さな町にありました。
当時は芸術家が多く住み、その開放的で自由な環境は、後に「ココナッツグローヴ」
という有名なフリー・フォークソングを生みました。孔雀の群れが小道を歩いていたり、
運河にはマナティの親子が回遊に訪れたり、町ではアメリカンポップスに混じって
カリブ音楽、ソウル、そしてビートルズが流れていました。

その日は午後から母がチーズやワイン、パンを買いこみ、我家の庭先につないである
小さなボートに積んでいました。 これから何処にピクニックに出かけるのか、
当時6歳だった私は興味半分に両親を見物していました。
「こんな気持ちいい夏の日だから、みんなでボートに乗って海へ出れば何処に
行ったって楽しいに決まってる。」
夕方になって、いよいよ父母と私そして妹はキー・ビスケーンからマイアミ・マリーナ
へと出航しました。雄大な海へとボートは邁進します。
夕陽と共にピーチカラーに染まった空と海、時が経つにつれ空は淡い藍色にかわって
雲が衰えた影を海に落とします。
マリーナには大勢の人たちが集まっているのが見えました。
ステージライトが輝くと、周りにいるボートのエンジンが次々に停止していきます。
一瞬の観衆のざわめきと、静寂、そして、しばらくすると今まで聞いたことのない
軽快な旋律が私の耳に流れてきました。  あっという間に、この音楽が大きな海を
包み、波に揺られるボートは、まるでリズムにあわせてダンスをしているようでした。
ボートにいても、ここに集まった人たちがみんな平和で、幸せであることを感じまた。
その夜、演奏は空が濃紺に染まるまで続きました。

この音楽がデイヴ・ブルーベックの「テイク・ファイヴ」というという曲であることを
ずっと後で知りました。アーティストだった父は2003年に72歳で他界しましたが
彼が生涯をとおして好んで聴いたミュージシャンの一人です。
私は、子供の頃に父に連れて行ってもらった、この風景と音楽、ボートトリップ
を一生忘れません。 
ニューポートのJAZZフェスほど有名ではありませんが、
これが私の「真夏の夜のジャズ」です。
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by koyonagamura | 2008-12-07 07:00 | 日記 2007-2009
のどかな春のつもりが、、ナメクジと戦う
2008年5月10日

俺は生まれてから,ずっと「ナメクジ」というのは日陰の湿った場所でひっそりと生活
している、自分とは関係ない生物だと思っていた。 
彼らが俺の庭に入ってきたのは1か月程前だ。
実際にはその前からいたのに気がつかなかったのかもしれない、、、。
ルーフバルコニーで園芸を楽しみ至福の時を過ごしてから7年、俺は、今, ナメクジと
戦かっている。 ことは,ライトアップした夜の庭で彼らを大量に発見したことに始まる。
大事に育てた可愛いパンジーやスミレの花の上にベトベトくっついて,気持ち悪いから
指でピンピン飛ばしてたのだが,よく見ると花を食い散らかしていたのだ。
気味の悪い男が夜這いしている様な光景で背中にゾクッと寒気が走った。
「おい!俺の可愛い娘達になんてことしてくれんだよ!」  

さて,翌朝、朝食の準備にイチゴを摘みに行ったのだが,虫食いの穴を発見した。
果実に虫がつくことは結構あるのだが,穴を覗いたらナメクジがいた。俺は芋虫は許す。
蝶ちょになって飛んでる姿が愛おしいから。 でもナメクジはノー・サンキュー。
「オメーの為にイチゴ育ててんじゃねーんだよ!」 

その夜から、夜這いに現れるナメクジは割りばしで摘まんで塩地獄の中へ叩き落とす
ことにした。 あんまり,多いんで家族にも参戦してもらった。翌朝見に行くとナメクジは
ドライに乾燥して黒くなった残骸は田んぼにいる吸血蛭を連想させた。戦時中,
東南アジアで日本兵を苦しませた, あの蛭だ。 吸血蛭の残骸を見下ろしながら呟いた。
「お前ら、悪魔か、、、」  

ある夜,ナメクジをとっ捕まえてから部屋でくつろいでいたら,急に雨が降ってきた。
窓から, 塩の山が雨に流され消えていくのが見えた。
乾燥ナメクジはカップヌードルみたいに息を吹き返すのか。 
「神様がナメクジに味方したのか、、、」 
その夜は,ナメクジが家の中に入ってきて襲われる悪夢を見た、、。 

楽園と思われた場所に突然,何者かが足を踏み入れる。
何処にも悪意など存在しないが 気になりだすと、限りない憎悪がこみ上げてくる。
ナメクジの数も限りないから、 終りがない。
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by koyonagamura | 2008-12-05 15:41 | 日記 2007-2009
デンマークにて日本人一人だけドタバタと生きる
2008年4月8日

4月初めから日本縦断ツアーを開始した某有名ミュージシャンの
コンサートグッヅ制作のお手伝いをした。
フローティングペンを作ってもらったが,しかし,初日コンサート分の納期が1日だけ
間に合わなくなって,急遽デンマークにグッヅ を取りに行くことになってしまった。
旅行客として飛行機にペンを20kg分だけ持ち帰る運び屋の仕事なので,
自分の荷物は機内持込みの鞄だけ許される。重量を超過すると追加料金を取られるので
経費削減のため荷物は3泊分の下着とGパンだけにした.。
学生時代の貧乏旅行を思い出した.。
コペンハーゲンは物価が高いしユーロ高の影響もあってレストランでランチを食べると2500円、気の利いたカフェでコーヒーを飲んで1000円を超えてしまう。
まあ、考えてみれば僕が学生だった頃の
ヨーロッパの生活の金銭感覚に戻っただけなのかもしれないが、、。

お金を使うのが嫌になったので、 自由時間は美術館周りと散歩に時間を費やした。
なんて健全な日々!!。 

子育て支援という国家的政策が効して、コペンハーゲンの街はベビーカーを押すお母さん,お父さんで一杯だ。春の日差しを楽しむ御老人, 学生、あらゆる世代の人間が同居する
街の風景は,今や東京では稀だ。
博物館では床に座って1日,デッサンを描いている人達を多く目にする。
こんな時間の過ごし方って、わかっちゃいたけど,またまた忘れてた、、、。
俺、もうすぐ 50歳だよな~。いつになったら解放されるんだろう、と思うと淋しい。

グッヅは工場出荷の後、僕が飛行機で運んで,成田到着後, 新幹線で静岡へ、
コンサート開始2時間前に店頭に並んだ。  これはこれで大成功だ、、ほっとした。

しかし、私はコペンハーゲンで 一人、異常に慌しかった変な日本人だった。
間に合わなかったらどうしようという恐怖と不安で心もあれていた。

これからビーチfmで番組を放送する前は海辺を散歩して、お天道様に感謝して
気持ちを豊かにしよう。
北欧に行くと,同じ地球の上で,人間に違った時が経過していることを知る。
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by koyonagamura | 2008-12-04 15:00 | 日記 2007-2009
ヴェトナムに行ってまいりました。

2008年3月5日

ちょっと前の話だが、昔、葉山マリーナに「ホイアン」というヴェトナム料理の店があった。
僕はヴェトナム料理は生野菜が多くて世界一ヘルシーだと勝手に決めているので、
放送前によく通った。
その頃、「ホイアン」が街の名前であり、旧日本人街を含む歴史的建築物の価値を
認められ世界遺産に認定されていることを知った。500年以上も前に日本を離れて
異国の地で貿易を営んでいた日本人商人には浪漫を感じていたので
「1回は行っとかなきゃなりません」と思いっていたので、休日を利用して遠くヴェトナムまで、
その街並みを拝見しに行った。
異郷の地に日本人が作った石の橋、中国人の木造民家等、確かに見所の多い街ではあるが、何処の家も中身は土産物屋、カフェ、ショップに替わってしまっていて
風情豊かとは言いがたかった。
観光客には手がだせないような、昔ながらの漢方薬屋とか中国茶屋は不気味
なムードが漂っていて面白かったけど、、、。
川向こうの新市街は観光地整備が進行中で、ホイアンの懐古的ムードは
引継いでいるものの、不動産バブルが起るのを待ち構えてる様相だ。
ホイアンからダナンにかけての海岸線は良質なサンドビーチに恵まれていて、
現在、外資大型リゾートホテルの計画が進んでいる。車で3時間位のところに
同じく世界遺産の「フエ」という都市がある。ヴェトナム戦争時に破壊されたものが
多く、とても残念だが、日本で言うと「石の京都」って感じで、古いもの好き
にはこちらの方がお薦めだ。  ここは物価も安い。
ホイアンには寸法を測って、何でも1日で作ってくれる洋服屋とか靴屋
が沢山あって、スーツなら1万円から作れる。奥さんがドレスやらブーツを
作りまくって、息子も負けじとスニーカー(すぐ底がぬけちゃった)を作ったり
皮ジャンをオーダーメードしてるんで、始めは馬鹿にしていた僕も釣られてスーツを
注文してしまった。
翌日取りにいったら意外と仕立てが良いんで、調子にのってどんどん作っちゃったら
全部で6着になってしまった。 両手は買物袋で一杯というありさまで、結局、
世界遺産も 昔の日本男子の浪漫もなんのその、我々も品格の無い、
強欲な観光客になり下がって日本に帰国した。 ヴェトナム 強し!!!
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by koyonagamura | 2008-12-03 14:15 | 日記 2007-2009
マイアミの中古レコード屋さん
2008年1月22日

久しぶりに義母に会いにマイアミを訪れた。サブプライムローン
が問題化する中、マイアミの街は住宅前のFOR SALEの看板がやけに
目についた。不景気だった20年前と較べても、比較にならない位
多いから、ここ数年はよっぽどバブリーだったんだろうなぁ~と簡単に
想像できた。 転売物件はともかく、この家のひとつひとつに幸せな家族が
住んでいたことを思うと悲しくなる。
一方では相変わらずセレブな場所もある。映画にでてくるようなクラブの
ニューイヤーパーティは入場料だけでも200ドル、テーブルに座ると400ドル、
VIPだと700ドルなんていう価格設定があったりする。(これ一人分の値段です。)
アルマーニのドレス着て テクノビートとシャンパン、キャビアでカウントダウンするのも
悪くないか?でも、ここアメリカでも日本人の懐具合は更に厳しくなっているのであります。 

さて、マイアミにも、今だ中古レコード屋が存在する。
個人経営の小さな店だが、僕にとっては一番 気が休まる「心のオアシス」だ。
もう10年以上このレコード屋に通っている。
僕は昔から神保町の中古レコード屋を歩き回っているからネットでレコードを買うことが、
どう転んでも面白くないのだ。  ここの店のおっさんは昔から全然変わらない。
カーボン式の売上げ伝票に一生懸命にボールペンで記入している様が、
いかにも不器用そうで、懐かしくっていい人だ。 
今回はクリス コナー、ニーナ シモンのベツレヘム原盤等を5,000円程度で譲ってもらった。
この値段は安いと思う。
彼らはネットで価格を調べて高く売るなんて野暮なことは絶対しない。
そのかわりに 「そうだね、このレコードは絶対いいよ。彼女はベストシンガーだ。
他で買ったら200ドルはするだろうな?」  と言ってニヤッ と笑う。 
家の値段が5倍になっても、ここのレコード屋の営業は変わらない。

この変わらない中古レコード屋のおっさんとレコードがこれから何処へ行っちゃう
のか心配だ。  何処に追いやられちゃうのか心配だ。
ちなみに、このレコード屋のオーナーは別にいる。 趣味が高じて店を出した
レコードコレクターだ。
平日は別の仕事をして, ウィークエンドになると、もっとも幸せな顔をして
店に現れるそうだ。

「ダイアモンド針よ、永遠に、、、」
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by koyonagamura | 2008-12-01 15:21 | 日記 2007-2009


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