SHONAN BEACH FM -NAGAMURA KOYO 長村光洋

湘南カチート 水曜23時 JUKEBOX 金曜17時 N盤アワー 月曜23時 のブログです。
カテゴリ:ビーチFM今日の日記2012~( 29 )
柳橋芸者の創った石塚稲荷
テレビのニュースなんかを見ておりますと、悪い女に引っ掛かったとか、芸能人の誰々さん達が破局したとか、そんな話ばかり毎日聞かされます。男女関係は人間の一生を左右するとても大切なものです。でも、成功の秘訣は誰にもわかりません。だから若い皆さんは御寺や神社に行くと縁結びの神様に拝むのでしょう。
昭和30年から40年の話になりますが、何故か知らないけど、子供の頃からお参りに行く小さな稲荷神社がありました。そばに銭湯がありまして、大きな湯船が好きな私は母から銭湯代と御賽銭、それにフルーツ牛乳のお金をもらって「勉強が良くできるようになりますように。」とその神社で拝んだものです。別にそこが好きだったわけじゃないんです。そこに吸い寄せられるようにして行ったんです。思い返せば、それは「御縁」であったのでしょう。お参りは生活習慣となり、その後50年近く何処に引っ越そうが私はその稲荷神社とお付き合いしてまいりました。ある日子供を連れて行った時に、お狐様の顔が半分崩れていることに気がつきました。子供が「パパ、可哀そうだから直してあげようよ。」と言うので、ホームセンターでセメントを買って補修したのですが、猫のようになってしまいました。最近の地震では灯篭の屋根の部分が落ちてしまったのです。誰も直す気配がないから管轄の神社へ行ったところ、話がはずんでしまい私が寄付することになってしまいました。結構な出費です、、、。歳をとってから知ったのですが、実はこの稲荷神社は柳橋の芸者さん達が創ったもので、よく見ますと石柱の一本一本に「若葉」だとか「二葉」だとか名前が刻まれております。大昔のことですから田舎の貧しい所から出てきて女一人で苦労して芸者として身をたてた人達だと思います。男女関係のプロフェッショナルの思いがこもった神社です。確かに学生時代「ガールフレンドと付き合えますように」と拝んだ時は確率が高かったように思うし、ここに来てから帰り道に銀座へ寄ると気持ちよく飲めるのです。
幼い頃は「勉強ができますように」なんて拝んでましたが、50も過ぎた今は「良い女性ばかりとめぐり合えたことをありがたく思います。」と亡き芸者さんに感謝する今日この頃であります。もちろん、幾つになっても安心できませんが、、、。
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by koyonagamura | 2012-07-18 08:51 | ビーチFM今日の日記2012~
ビーチFMマガジン掲示板ー文字数修正前
私は東京の柳橋という下町で生まれました。柳橋の朝は相撲部屋の稽古と共に始まります。集団登校で学校へ行く途中、「バシッ」という四股を踏む音を聞き、思わず背筋をぴんと伸ばしたり、髪に付ける椿油の匂いに学校では勉強できない別世界を感じたものでした。家の斜め前には高砂部屋があって三代目朝潮太郎は学校の先生よりも偉いのだと尊敬していました。別世界といえば、この街は江戸前の料亭が軒を連ね夕方にもなりますと芸者さんが人力車に乗って御仕事に出かけるんです。そんな風情のある光景も、そして彼女達の付けていた白粉の香りもしっかりと心に焼き付いてます。友達の家に遊びに行ったら御母さんが芸者さんで、鏡を前に長襦袢姿で化粧しているものだから、それを見て子供ながらに思わず生つばをゴックンなんてことは日常茶飯事でした。有名なプロ野球の選手が遊びに来たという噂を聞いて近所の子供と見に行ったりしたこともあります。実際に会ったことはないんです。子供の相手をするような場所じゃありませんから。黒塗りの大きな車の脇の道端に腰掛けて「俺もいつか野球の選手になって、とりあえずここに来て飯でも喰うか。」と夢をみたものです。三味線や鼓、小唄の調べが漂い街全体を包み込むと、そのうち子供達は眠りについて、朝になるとまた相撲の稽古が始まりました。60年代も後半になると隅田川の汚染が進み、また堤防も造られて川沿いの料亭と芸者さんは姿を消していきました。国技館が蔵前から両国に移り相撲部屋も引っ越してしまいました。高度成長期にのって物は豊かになれど心は戦後の焼け野原、私の屈折した性格はここから始まったのかもしれません。この街で一番の思い出は、この芸者さん達も一緒に楽しみました夏の盆踊りであります。私のお気に入りは「三味線ブギウギ」という曲で、このレコードが流れると心を弾ませ飛び跳ねるように踊りました。この歌は服部良一が戦前より絶大な人気を誇った唄う芸者・市丸の為に作曲したもので、市丸はこの柳橋に自宅をもっておりました。中学に進みますと、私も一端のロック少年へと変わっていきますが、今でもパープルやゼッぺリンより、笠置シヅ子にロックの魂を感じるのであります。
この番組タイトルの「湘南カチート」はナット・キング・コールの歌からとったもので、いつまでも少年のように遊び心を忘れぬ中年叔父様の意味だそうです。褒められてんだか貶されてんだかわかりませんが、私のような道楽好きにはピッタリのネーミングかもしれません。三つ子の魂、百までもと申しますが、とにかく番組担当の御指名を頂き光栄に思います。番組の内容は戦前からのJAZZ歌謡、二村定一、エノケン、ディック・ミネから笠置シヅ子、美空ひばり等、昭和を代表する歌手を中心にJAZZYな雰囲気の中で特に日本語の歌詞の「美」「笑」にこだわりながら懐かしの音楽をお届けするものです。日曜の夜、タイムトンネルのテーマと共に皆様をお待ち申し上げております。一緒に懐かしの音楽の旅に出かけましょう。最後になりますが、貴重な音源を提供してくださいます瀬川さん、保科さんはじめ音楽研究家、蓄音機愛好家の皆様に感謝を申し上げます。特に毛利さんにつきましては、その著書「ニッポン・スウィングタイム」「砂漠に日が落ちて」のみならず直接の御指導を頂き有難く思っております。
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by koyonagamura | 2012-07-18 08:08 | ビーチFM今日の日記2012~
蓄音機に魅せられて
湘南カチートを担当して2か月余り,私は相変わらず蓄音機とSP盤廻りをしております。古いものを大切になさっている方は大抵親切で,懇切丁寧に御教授頂けるので,幸せな時間を過ごしております。蓄音機は絶滅危惧種であるという先入観をもっていましたが,その歴史は80年とLP盤よりも長く,戦争のダメージが少なかった国では良品が多く保存されているようです。いつでも一番気楽に聴けるのは日比谷公会堂下のアーカイヴカフェで,ここでは重厚な歴史的建築物の中で珈琲やワインを飲みながら音楽を楽しむことができます。英HMV社の高級蓄音機のゼンマイを巻き,鉄針を一回一回取り替え,そしてSP盤を丁重にセットし針を乗せるまでの作法は,日本の茶会を連想させるような深い趣があります。レコードながら,歌手や芸人と同じパフォーマンスができるのです。何故鉄針を一曲ごとに取り替えるのかお尋ねしたら,鉄針は新しく買えるけど,SP盤はもう作っていないからと返事を頂きました。私ならついつい2曲,3曲と針を使ってしまうことでしょう。 
SP盤コレクターの毛利さんの会に参加した時は東京,千駄木にあります旧安田楠雄邸に足を運びました。ここは和風建築に洋風の応接間,そこから眺める庭園が美しい歴史的保存物です。自分が蓄音機を買ったら,それに似合う古家や洋館まで探さなければいけないなぁ~,一体いくらかかるんだろう?音楽に耳を傾けながら不動産のことなどを考えてしまいました。
さて,このSP盤や45回転のシングルレコードを一曲ずつかけるという行為がラジオのディスクジョッキーの基本を築いた,といったら語弊があるでしょうか?今の私たちの音楽の聴き方は自動給茶器のボタンを押してお茶の出涸らしを飲んでいるようなものです。それはそれで良いのです,便利だから。でも素晴らしい過去の歴史は勉強しておいたほうが好いでしょう。このトラディショナルな礼儀作法を電波にのせて音楽をお届けできれば、、蓄音機からそれを勉強させて頂いた今日この頃です。
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by koyonagamura | 2012-06-18 10:51 | ビーチFM今日の日記2012~
湘南カチート
ビーチFM 今日の日記 5月から

4月1日より新番組「湘南カチート」を担当して一ヶ月が立ちました。戦前からのJAZZ歌謡を聴いていただき、自分で言うのもなんですが好評をいただいております。それ以前,ビーチFMにはスポンサー提供番組をのぞいて日本語の音楽番組はなかったと噂に聞いておりましたので、とにかく打ち切りにならぬようにと周到に準備を進めさせていただきました。タイトルには「ビーチの花道」「湘南ミュージックホール」「湘南・歌の玉手箱」等、いろいろあがったのですが、結局、本房氏の一言で「湘南カチート」になりました。「初めから決まってんなら早く言えよっ!」て感じでしたが、「カチート、カチート」なんて言いながら番組をやってますと段々愛着が湧いてくるもので、今から思えばベストだったと思います。 (さすがプロ) ちなみに「カチート」はナット・キング・コールの歌からとったもので、いつまでも少年のように遊び心を忘れぬ中年オヤジの意味だそうです。褒められたんだか貶されたんだかわかりませんが、私のような道楽好きにはピッタリのネーミングかもしれません。今年に入ってからは、日曜の夜はビーチFMと共に過ごしました。その結果、「なんだ日曜はJAZZだったんだ。」ということを発見し (スターライトからは想像もできない) その流れを壊さない様に努めました。FMの辻さんから「エノケン」の勉強会に誘われたのもその頃でした。音楽評論でお馴染みの相倉さん達や二村定一研究でお馴染みの毛利さんから多くの情報をいただき感謝しております。元々、私は学生時代からゼッぺリンだのパープルよりも笠木シヅ子にロックの魂を感じるタイプでありましたんで、この時点で番組の基本コンセプトが出来上がりました。日曜の夜、サザエさんのテーマを聞いちゃった後,JAZZで,元気で,笑えて,そして日本語の歌詞に耳を傾けたくなる、懐かしいけど新しい番組、それが「湘南カチート」です。最後に申し上げておきますと、この番組を本当は私の親爺と御袋に遠くなった耳をかっぽじって聴いて欲しいのですが、恥ずかしくてまだ伝えておりません。人間50歳を過ぎても子供は子供ですね。
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by koyonagamura | 2012-05-10 12:41 | ビーチFM今日の日記2012~
ワシントンの桜
湘南ビーチFM 今日の日記 4月から

この春休み、家族はワシントンの桜祭り100周年に参加してきた。米国首都ワシントンのポトマック河畔の桜並木は自由の女神と並ぶ歴史的贈答品として今や観光名物の一つである。19世紀の末,欧米から多くの研究者が日本を訪れ文明開化に貢献した。義理の曽祖父にあたる植物博士ディヴィッド・フェアチャイルドもその一人で彼は荒川堤に咲く桜の美しさに魅了され,ワシントン近郊のメリーランドにある自宅に桜を植樹した。植物的な好奇心のみならず,文化的にも「野点」なる花見茶会を催し,昆虫学者のチャールズ・マラート,日本人に馴染みの深いエリザ・シドモア(正確にはイライザ・スキッドモア)とワシントンに桜並木を作る夢を実現させた。明治の終わりにタフト大統領夫人の要望に応え日米親善の証しとして尾崎東京市長が2000本の桜苗木を贈ったのが最初であるが,残念ながら害虫の被害が酷く到着した時点で焼却せざるをえなかった。その後,研究を重ね,荒川堤の五色桜を伊丹で台木としたものを1912年に植樹したのが現在の桜だ。イライザは晩年をスイスで過ごしたが著書「日本紀行」に「すでに地球の美術工房となっている日本は,このスイス以上に世界融和の天職をもっているのではないか、、」と記している。72歳で他界した彼女は今も日本領事だった家族と共に横浜外人墓地で眠っている。さて,今年のワシントン桜祭りは2か月間開催され日本舞踊,書道,アートショー等が併設された。レストランや
BARには桜スペシャルが用意され,ホテルには桜が飾られる。アメリカ人もお花見で飲めや歌えや野外大宴会をするのか?と聞いたら,それはないそうで河畔をロマンティックに散歩するだけである。自然を愛する心は万国共通だ。一方,荒川堤の桜は明治の終わりから化学工場の公害、洪水、大戦中には桜を「薪」に使って伐採したため一時は消滅してしまったそうだ。現在は,アメリカからの「里帰り桜」が足立区荒川沿いに植林され2016年までに「平成五色桜」の再生が予定されている。イライザは横浜外人墓地でどんな夢をみているのだろうか、、、。
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by koyonagamura | 2012-04-16 11:05 | ビーチFM今日の日記2012~
銀座の地下の人間国宝

ブランドショップや煌びやかなネオンサインが眩しい銀座の街の一角に、時代に取り残された古い街並み、路地が今も存在する。ジャズクラブ「ブルース」はその中でも一際レトロなビルの細い階段を下った地下2階にある。ここの主は67歳になるジャズマン・森 守さんで、彼はビッグバンド全盛期、スィング・ビーバーズ、宮間利之とニューハード・オーケストラでテナーサックスを吹き鳴らしていた昭和日本音楽界の王道を歩いた男だ。オーケストラやビックバンドの演奏で歌う歌謡曲が流行だったころ頃、お客さんはステージの花である大きなバンドに拍手を送った。バンドを大きく見せる為に演奏しない者まで雇って立たせたこともあったそうだ。その後、歌謡曲の衰退と共に、大所帯は金がかかるという理由でバンドはクァルテットやクインテットが主流になった。
10人も入れば満席になるようなバーで彼は孤軍奮闘、天下の宝刀テナーサックスを片手に連夜ブルースを演奏してきた。客は僕一人ということもあったが、彼はいつもジャケットを着て背筋をぴんと伸ばしてサックスを吹いた。僕が華やいだ銀座とは正反対の「ブルース」を訪れたのは正直な話、一種の回顧趣味と怖いもの見たさの好奇心からだ。しかし、そんな趣味にどっぷりと浸かって夜な夜な酒を飲んでいると、実はそれが紛れもない現実の連続であったことに気づかされる。おせっかいな話だが、この老ジャズプレイヤーの行く末が少し気にかかるようになったのは事実である。( 「老」 と書いてしまった。これを読まれたら出入り禁止だ、、、。)
ところが今年になって、一気に形勢がが逆転した。突然、森さんに大きな仕事が来たのである。一つは立川直樹氏がプロデュースした中野サンプラザの昭和ムード歌謡コンサートへの主演依頼、そして八代亜紀さんのテレビ公開用ジャズライヴの伴奏に森 守クインテットが御使命を受けたのである。このステージでテナーを吹くのは彼以外考えられなかったそうだ。当日は店の常連客も応援に駆け付けた。タキシードを着て舞台で八代さんと並ぶ男は、銀座の地下の人間国宝 「ブルースの森 守」 だ。歌もそして衰えを感じさせない演奏も大したものだが、何よりも目頭が熱くなり、涙を堪えるのが大変だった。森 ムーディ 守さんにもういちど花を、、。
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by koyonagamura | 2012-03-17 11:24 | ビーチFM今日の日記2012~
フローティングペンに魅せられて。
この日記の関連記事が3月発行「文具ぴあ」に掲載中です。
ビーチFM今日の日記 二月から

世の中にはいろいろな収集家がいる。ビーチFMのDJといえば,大抵レコードのコレクターである。私も,その一人と思うが 私には,もう一つヌードペンの収集という知られざる悪癖があった。これはペンを逆さにするとプリントしてある女性がヘアヌードに変身するというモノで ,60~70年代セックス先進国といわれた北欧から秘密裏(?)に世界にばら撒かれたキッチュなボールペンである。子供の頃に,このヌードペンに感銘を受けた私は これを密かに学習机に隠し続けた。 ヘアヌードなど存在しない時代に,このペンを隠し持つことはスリリングな体験だった。
さて ,時が経ち,大学時代にバックパックを背に旅行した時, 世界中の観光地に同種のものが御当地の絵をプリントして土産物として売られていることを発見した。フローティングペンと呼ばれるこのペンはデンマークのエスケセン社が60年にわたって製造している。今ではNY近代美術館も認める 20世紀永久不滅のデザイングッヅである。 コレクターに飽き足らず自分でデザインしたくなった私は,その後エスケセンの代理店を設立し,これまでに日本のアーティスト ,ミュージシャン等から,数百種類のペンを作らせていただいた。現在は,世界中に何万という収集家がおり,ネットでコレクションを披露している。どうやら私は米,仏のコレクターと共に世界三大収集家の仲間にはいれそうである。
今月発売予定の「文具ぴあ」にもコレクターとして登場させていただく。(私の笑い顔がカバみたいで気に喰わないのだが、) 子供の頃に隠し持っていたヌードペンが大人になってビジネスになるなんて誰が想像しただろうか? ただ,自分はお金が欲しかったわけではない。そのペンに浪漫を感じただけだ、、。だから時々,僕は,一生懸命 机に向かって勉強している子供にすら口を滑らしてしまうことがある。「後で教科書がぶっ飛ぶようなサプライズがあるかもよ?」、人生は,怪奇現象の連続だからね。
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by koyonagamura | 2012-03-07 11:08 | ビーチFM今日の日記2012~
バット・ミツバに招待されました。
知人から招待を受け、ユダヤ教の成人式にあたるバット・ミツバに参加させていただいた。バット・ミツバは女子向け、男子の式典はバル・ミツバというそうで、それぞれ12歳と13歳で行われる。式ではトーラと呼ばれるモーゼの5書をシナゴーグというユダヤ教教会の会衆の前で読まなければならない。この為に、わざわざ飛行機に乗って世界中から親族が集まってくる、ユダヤ教にとっては非常に重要な儀式である。正直、なんの宗教的知識も、清らかな精神も持たない私が立ち会っても仕方ないのだが、お祝い事であるから喜んで出席させていただいたのである。生まれて初めての体験であるからワクワクする。なにしろ、あのふちなしのヤマカとかキッパと呼ばれる帽子をかぶるのである。改宗しなきゃいけない気分だ。(無理、、) 残念ながら私の頭は平たいのか?何回もずれ落ちてしまってイライラした。ユダヤ人には、あの帽子がフィットする。式が終わると今度は招待客を全員レストランに招待して、日本でいえば結婚式に相当する規模の大宴会となる。これが日本人の子供だったら、一体、自分が何を祝ってもらってんだか分らないだろう。でも、ユダヤの子供はちゃんと理解しているようだ。東京に住んでいるユダヤの子供は大変だと思う。学校で勉強する時は英語で、そして12~13歳の成人式でモーゼ5書をヘブライ語で朗読、さらに外へ出たら日本語という、完全に読み書きの違う言語を3つも学習しなければならない。成人式の後は戒律をきちんと守る義務が生じるし、高校を卒業するとイスラエルに行って軍隊に入る若者もいる。この民族意識は強烈だ。
さて、日本の成人式は先週終わったが、私は日本の若者は甘やかされているというつもりはない。自然災害の多い国で生きていくことは流浪の民といわれるのと同じ位大変なことだ。 無宗教化したと言われる昨今だが、私たちの回りには自然という抵抗しがたい強大な神が今も存在しているのである。
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by koyonagamura | 2012-01-31 10:54 | ビーチFM今日の日記2012~
ブロードウェイ と ブルックリン
ビーチFM- 今日の日記 2011年 12月から、

2011年のクリスマスはブロードウェイ・ミュージカルを子供と観賞するため、久しぶりにニューヨークで過ごしましたが、私の胸中はブルックリン探訪への欲求でいっぱいだったわけでありました。何故なら、この数年間というもの溢れんばかりの音楽アーティストが、このブルックリンから登場し、今や若者の音楽の聖地といっても過言でない、ひとつのトレンドが形成されているからです。この背景にはマンハッタン・ダウンタウンの地価高騰等があり、若者の生活の場が失われたことが挙げられます。確かに高所得者と観光客のごった返すマンハッタンの街に日常的な生活感はありません。旅行者にとってここは単なる消費の場にすぎない。そこで私はブルックリン音楽シーンのパワーの源に足を踏み入れる為、橋を渡ることにしたのです。既に、この町の音楽に魅了されている私のことですから、ウィリアムズバーグやパークスロープの町ですれ違う人々の半分は芸術家に見えてきます。好奇心とアメリカの見知らぬ街を歩く恐怖感で胸が高鳴りました。そして、ついに遭遇したのです、、レコードを小脇に抱えて歩く若者と、、。ここには一時は絶滅危惧種と呼ばれていたレコード屋があるし、ターンテーブルを置くデザイン・ショップが増えているのです。もちろんレコード文化の繁栄とは程遠いもので、数としてみればマリファナの吸引パイプを店頭に飾る店の十分の一にも満たないかもしれません。しかし、私は認識しました。今の、アナログ盤の再発状況からいえばレコード屋は経営できるし、それを支えることのできる街も文化もあるのです。個人経営のコーヒーショップで流れるインディーなロック、道端で演奏する音楽家、意味不明の骨董品屋、小さなエスニック料理店、そしてレコード屋のある路。マンハッタンの高層ビルを川の対岸に眺めつつ、今の音楽シーンを牽引する若き才能の数々は意外なところで育ちつつあるようです。
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by koyonagamura | 2012-01-04 14:51 | ビーチFM今日の日記2012~


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