SHONAN BEACH FM -NAGAMURA KOYO 長村光洋

湘南カチート 水曜23時 JUKEBOX 金曜17時 N盤アワー 月曜23時 のブログです。
カテゴリ:ビーチFM今日の日記2012~( 29 )
2013年6月ビーチFM 今日の日記から
ビーチFM  今日の日記から
親にとって子供の教育に「卒業」という文字はありません。「中退」はあっても終わりはありません。何かを教えたくても漠然としていて伝わらないし、伝え方も分かりません。しっかりしてきたかも?という頃には学校を卒業する歳になっていたり、いつまでたっても口うるさいとプライドを傷つけて逆効果になります。
幼少の頃は、ピアノ教室に通いました。先生は音大の講師の方でたいそう息子を可愛がってくれましたが、病気を患っていらっしゃり他界してしまいました。葬式で「これからもピアノを続けようね。」と子供と約束したものの、その後、二人でさぼってしまいました。フランス語を始めた時は、先生が美人だったら喜んで勉強するに違いないと別嬪のモデルさんを探して参りました。効果は上がったものの、途中VIS Aが切れて帰国してしまいました。お稽古ごとは数えきれないほど経験しましたが、お試しコースの連続ではものになりません。何かを習いたいと思ったら、1週間に3回以上、体を張って憶えろとスパルタ式に教えてくれたのは3大トーナメントで活躍したテニスの柳コーチでした。今はクラブでスウェーデンから来たD・コーチに指導を受けています。190cmを超えるテニスの為に生まれたような貴公子です。ラケット1本しょって一人で日本を訪れた侍魂と、クラブの女性陣から羨望の眼差しを受ける姿は息子の憧れの対象に十分だったようで、最近やる気が10倍になりました。「これから学校があるから帰るよ。」と言うと、彼は「学校なんて無駄だから、もっとテニスをしていけよ。」と言います。息子と半 分 笑いながらコートを後にするのですが、、、、。
 大人達は学校の中身を知らないで、偏差値で子供の教育を計ろうとします。私にも同じ傾向があります。しかし、今から思うに、子供には良い先生と巡り会うことが、いつも一番大切だったような気がします。「『将来、社会に出てどんな仕事に就いたとしても、ここでテニスから勉強したことを必ず役に立てろよ』とコーチが真顔で言ってたんだよ、」と子供が話してくれたとき、私は少し親の責任が果たせたようで嬉しかったのです。
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by koyonagamura | 2013-06-18 09:51 | ビーチFM今日の日記2012~
ラジオ・デイズ
ビーチFM 今日の日記から 2013年 5月


1987年のウッディ・アレン監督「ラジオ・デイズ」は彼の幼き頃を思わせる少年が日々ラジオから流れる音楽のメロディに心をときめかし、大戦前の文化、世相の中で暮らしていく、その人間模様を描いたコメディーでした。劇中にはグレン・ミラー、トミー・ドーシーなど1920年代から40年代のラジオ全盛期の名曲が花を添えます。
ラジオは1900年エジソンの研究所で働いていたカナダのレジナルド・フェッセンが通信テストに成功したことを起源とし、1906年のクリスマスの晩には自身の歌で「さやかに星はきらめき」をバイオリン演奏と伴に放送することに成功しました。この時代に受信機は一般家庭には無かったので、放送を聴いたのは沿岸を航海する船の無線技師達だったといいま す。アメリカの民放ラジオが開局されたのは1920年で最初の放送は大統領選挙の速報でした。その2年後には全米のラジオ受信機は500万台を突破していました。日本でも1925年にラジオ放送が開始されました。震災後、信頼できる情報の重要さが多くの人に理解されたそうです。昭和7年1932年初頭には全国のラジオ聴取者数が100万人を突破したという記事がNHKよりでております。ラジオ体操もこの頃に広まりました。ラジオ放送は人々の生活に欠かすことのできない必需品となっていったのです。当時のラジオの価格を調べますと安価なもので30円、高いもので100円を超えております。推測するに今でいいますと5万円から20万円でしょうか。同じ時代の蓄音機の広告を見ますと簡易型で50円(8万 円~)大型になりますと200円(30~40万)近い値段が付いて おります。録音時間の短いSP盤レコードが1~2円、レコード1枚と日本酒一升の値段が同じ位でしたので、音楽鑑賞は若者が気軽に楽しめるような趣味ではなかったように思います。ましてやコピーして繰り返し聴くような技術は存在しませんから、私たちの祖父母はラジオにかじりついて、そこから流れる音楽にうっとりと耳を傾けたことでしょう。1900〜10年生まれ位になるんでしょうか?仏壇に向けて放送してます、といえば大袈裟ですが、、、「湘南カチート」と「N盤アワー」ではこのラジオ誕生から全盛期のポピュラー音楽を中心にお届けし、懐かしの音楽の旅へとタイムスリップいたします。あの頃の名曲が忘れ去られる前に、もう一度ラジオにかじりついて聴いて頂けたら光栄です。もちろん PCやスマートフォンも大歓迎、月曜と水曜の夜にタ イムトンネルの入口で皆様をお待ち申し上げております
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by koyonagamura | 2013-05-16 09:39 | ビーチFM今日の日記2012~
華麗なるギャツビー
時は1920年代、大富豪の娘であるデイジーと無一文の青年の物語。所詮かなわぬ恋をあきらめきれず青年は軍を除隊した後に巨万の富を築きニューヨーク・ロングアイランドの大邸宅に現れる。そして、その湾をはさんだ向かい側にはデイジーが夫のトムと家を構えていたのである、、。ローリン・トゥェンティ/狂騒の20年代/ジャズ・エイジ、自動車が大量生産され映画やラジオが普及する。街灯、電話、水道、インフラが整備されアメリカの電気消費量は4倍に膨れ上がった。アールデコが頂点に達し、人々は夜な夜なお洒落をしてチャールストンやフォックストロットを踊りにダンスホールに足を向けた。ボストンからニューヨークに招かれたベーブ・ルースがヤンキーススタジアムでホー ムランを打ちまくっていたのもこの頃である。この繁栄が永遠に続くことを誰もが信じていた時代だ。
一方、第一次大戦を経験して世界に失望し冷笑的作品を書いた小説家達を「失われた世代」と呼ぶ。この「華麗なるギャツビー」は1925年、スコット・フィッツジェラルドのベストセラーで26年、49年に映画化されている。ギャツビーの究極のダンディズムをファッションと音楽で贅沢に飾った作品はコッポラ監督、ロバート・レッドフォード主演、アカデミー衣装デザイン、編曲賞を受賞した74年の映画だ。音楽はジャズを知り尽くした作曲家ネルソン・リドルだった。中学生時代に鑑賞した私は20年代の歌、チャールストンに魅了されサントラ盤を愛聴したものだ。ここでのレッドフォードの演技、男の美学 、流儀は目を見張るものがある。魅力的な男の映画を一つ選べと言われれば間違いなく「華麗なるギャツビー」をあげるだろう。
この6月、ディカプリオ主演のリメイクが公開される。なんと3Dである。監督のバス・ラーマンは20年代のジャズが持つパワーは現代のHIP HOPであるといい音楽にジェイ・Z、そしてビヨンセを使っている。その答えは何年も後に客観的に映画を観較べた人たちが的確に出すだろう。娯楽を消費するのが当たり前の世の中であるが、文化を継承する上で原作を知るということは我々の義務だと思う。私もディカプリオが好きだ。ファンの方でこの映画を気に入ったら本を読んでみることをお薦めする。四月からスタートした「N盤アワー」はルーツにこだわり、懐かしの音楽をお届けしてまいります。引き続き宜しく御傾聴ください。
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by koyonagamura | 2013-04-17 12:44 | ビーチFM今日の日記2012~
息子の旅の準備
ビーチFM 今日の日記から
高校生の子供のサマースクール下見という名目で父子二人で英国に行ってきました。今夏、彼は一人旅をするので、空港からロンドン、オックスフォードの宿泊先までの道を先に歩かせて試験することが目的です。息子の後を歩きながら懐かしい景観を眺めておりますと、僕が初めてここを訪れた時のことを思い出しました。もう30年以上前の大学生の頃であります。日本のエージェントから渡されたホームステイ先のアドレスを頼りに重たいスーツケースを引きずって右も左も分からないロンドンの街を彷徨い歩きました。A to Z なる地図帳を持って地下鉄を乗り継ぎバスに乗り換え、最後はバス停から10分も歩いた所にそのホームステイ先の家がありました。通りの名前と番地を入念に再確認して 「ん、これで間違いないな。」 と思ったところで決死の覚悟でベルを押しました。ちゃんと英語で挨拶できるかな~なんて、心臓は破裂しそうです。ドアが開きますと、あちらの奥さんが「お~、よく来たね、お入りなさい。」と、まるで僕のこの24時間の冒険なんて全く関係ない様な平然と そして にこやかな顔で家の中へ通してくれました。半分目的を果たした様な安堵感に包まれました。でも 思い返せば、もし僕が着かなかったら、この人は本気で心配する必要があったのだろうか?とも思うのですが、、、。まあ、今だった らロンドンの中心からタクシーをひろって住所みせて、ここに行ってくれと頼めば、それで済むことです。でも当時はお金がありませんでした。ポケットの中の数ポンドのコインだけが頼りだったんです。しかしお金がないからこそ勉強できることも沢山あります。だから、今回も子供と一緒に小銭だけもって道に迷いたかった。道を間違えろ、道に迷えと思いながら子供の後ろをついて行ったのであります。そうしたら自分まで道が分からなくなってしまい結局、大学の事務所を訪れ宿泊先を下見した時は日が暮れておりました。
「予定通りにいかなければいかない程、それは我々が勉強したということ。」
自分の頭で見知らぬ街を旅する楽しさに味をしめた息子は「次は友達と一緒に来たら楽しいだろうな。」な んて寂しくなることを言ってますが、まだまだ甘い。次はバックパック背負って秘境の旅に出ようかしら、、、
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by koyonagamura | 2013-03-21 10:37 | ビーチFM今日の日記2012~
さようなら 葉山マリーナ スタジオ
私が当時の葉山FMのスタジオを初めて訪れたのは1995年の2月22日、スキッパーズ・チェアーという番組のゲストでした。英国留学していた時にロンドンで出会った森山さんがDJをしていたのです。彼女の口癖は「あのさ~~、何かいい音源あったら貸してよ~~。」で、これは今でも続いています。留学とは理由にすぎず、当時ロンドンにいた連中は大抵、音楽三昧の生活をしていました。アダムスファミリーの奥さんの様な化粧に黒服を愛着していた彼女とビジネススーツにネクタイ姿の私は似ても似つかぬコンビでしたがブリティッシュ・ロックの話だけは意気投合したものです。そして二人とも葉山の海とはマッチしていなかったと思います。
葉山マリーナの周辺の景色は今も昔もそんなに変わりません。95年の早春、春の陽射しを薄っすら感じる午後にアナログのレコードを小脇に抱えて見慣れぬ海沿いの道を散策しました。道端にはいつも猫が居眠りしていました。東京であくせく働いていると、こんな海辺の町の普通の時間でも貴く感じるものです。都会での会社勤めにストレスを感じていた私は週に一回でもここで音楽をかけながら海を眺めることができたら、なんて幸せなんだろうと思いました。そして、御縁があってこのFM局に通い18年の歳月が流れました。会社に通いながらDJを続けることは結構、大変なことです。長村コウヨウというのは私の本名ではありません。気を使ってそうしただけです。会社では「DJなんかしてるから仕事ができな いんだ。」と文句を言われたこともありました。私は、その逆だと思いました。ラジオをやって頭を切り替えることができたたから会社で仕事もできたのです。
スタジオに遊びに来てくれた息子も17歳になりました。生まれた時にラジオを通して送った音楽は我が家の家宝です。楽しい時も、悲しい時も、私はいつもスタジオから流れる音楽と共にありました。
この春、念願の新社屋が竣工しスタジオを引っ越します。この通いなれた場所を離れることは残念です。しかし、今は新しい社屋でまたリスナーの皆様とお会いできることを楽しみに、そして夢と希望で胸をふくらましております。
LONG LIVE  BEACH FM !!!
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by koyonagamura | 2013-02-13 11:31 | ビーチFM今日の日記2012~
オランダにて社会見学 (子供と、、、)
地球の上に朝が来る~~その裏側は夜だろう~~。ある国では仕事の後で毎晩お酒を飲んで千鳥足で午前様。ある国ではお酒が禁止されて飲めない。ある国では大麻を吸うと警察に捕まって人生を棒に振るが、ある国では真っ昼間から堂々とカフェで吸っている。ある国では売春した者は法で罰せられるが、ある国では政府の管理のもと売春街が観光地になって見物客で賑わっている。
この冬休みはオランダのアムステルダムに行く機会がありました。昼間は美術館でゴッホとレンブラントを観てクリームがたっぷり付いたホットチョコレートをいただく、夜はビールを飲んだ後で「飾り窓地区」で売春と大麻の社会勉強、これが観光客の典型的な過ごし方のようです。動物行動学によれば、我々の 祖先 である霊長類に端を発し 人類最古のビジネスとも云われる売春は、中世において宗教の政治への介入により厳しく禁止されたが、現在は多くの国で既に合法化されております。飾り窓地区のような所は特に港町であれば世界中どこにだって存在しますが、ここが有名なのは夜に歩いても安全だし売春街が観光地化しているからです。無法地帯という乱れたイメージは感じません、有名な教会の裏に有るくらいですから、合法化したことにより健全に見えるのであります。見物人の大半は観光客で女性の数も多いのですが、この辺りの風景にサーカスの見せ物小屋とか動物園に近いものを感じるのも事実です。しかし、そう思っちゃいけないそうです。何故そのように思うのか?という我々の偏見へのアンティテーゼがこの「飾り 窓」の一つの存在意義でもあるからです。問題は多いのですが世界中に蔓延している大麻についても同じことが言えるかもしれません。
「臭いものに蓋」という国もございます。私はタブーに目を背けず、常に自由を尊重し自分の行動に責任を持って法治していくオランダの姿に少し心を動かされました。ちなみにオランダは自転車の国とも言われています。自転車用の道が整備されてエコロジーを感じる街です。恐らく今のままでは日本は何年経ってもこの国に追いつけないのではないか?少し不安になった、そんなアムステルダムの社会見学でした。
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by koyonagamura | 2013-01-16 12:18 | ビーチFM今日の日記2012~
養毛剤を付ける歳になりました。
ビーチFM 今日の日記から  2012年11月

「おまえ100まで、わしゃ99まで、共に白髪の生えるまで、」なんて言いますけど、このストレス社会に生きてますと40、50で白髪頭ですよね。普通は99歳になったらテカテカ頭じゃありませんか。 髪は長い友達と申しますが人生も晩年を前にして、この長い友達を失うというのは悲しいことであります。養毛シャンプーなるものを購入して頭を洗っても、その都度シャンプーの泡の中に脱毛を発見するとはいかなるものでございましょうか?。最近、叔父から電話があり 「薬用養毛剤を付けたらついに髪が復活した、次の法事で会ったら驚くぞ!」と言うので楽しみにしておりました。実際、本人の顔を見ても 「また老けたな、、」と思う以外に変わりはなかった、、。おそらく自分にしか分からぬ程度の発毛だったのでしょう。これを「妄想(毛想)」というのです。それでよいのだと思います。もしも、お化けのQ太郎に毛が三本なかったら、あのキャラは人気がでたかしら???そこで私も叔父に続けとばかり高価な養毛剤を使用することにいたしました。製品取扱書には即効性があるなんて書いてないんです。とりあえず3か月様子を見ろって言われるんです。それだけで大した経済効果ですよ。そして、この11月を迎えました。先日、洗面所でチェックしてたら、後ろで息子が「お父さん、髪の毛伸びたから理髪店に行ったら、」と言うではありませんか。「えっ?おまえ今、何て言った?俺、髪の毛が多すぎるかな ~?」なんて喜び勇んでカットに行ったんですが、なんか元に戻っちゃったなぁ~~。しかし、後悔なんかしません。天下の楽天家の論理が浮かんでくるのです。「もし、薬を付けていなかったら今頃、髪は更に薄くなっていたに違いない」って、、、。髪は長い友達、大事に付き合いたいものですが「サヨナラだけが人生さ」という切ない言葉もございます。いつまでも愚痴を言ってると、神様から「だから愚か者の頭に付ける薬は無いのだ。」と怒られるでしょう 。
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by koyonagamura | 2012-11-18 12:48 | ビーチFM今日の日記2012~
ロックンロール高齢化時代
ビーチFM 今日の日記  10月から

トニーベネットは85歳にして史上最高齢のグラミー賞3部門を獲得し,最近も若い女の子とデュエットをしまくっている。先日の東京JAZZフェスに出演したバカラックはトニーの2つ年下、1928年生まれの84歳、元気な姿を見せてくれた。さて、JAZZにベテランが多いのは当然だが、最近はロックやポップスにも高齢化の波が及んでいる。とはいえアメリカの人口構成は日本ほど高齢化が進んでいない為、ヒットチャートを見てもベテラン勢が目立つわけではない。お爺さんがハーレーダビッドソンに乗ってブンブンいって街を飛ばしていくのが異様に気になる程度の問題である。しかし、セールスはともかく音楽番組を担当していて、最近のベテラン勢のアルバムの質が特に向上していることに気がついた。ボブ・ディラン(71歳)レナード・コーエン(78歳)あたりが道を作ったのではないか?。ロックではイギ‐・ポップ、パティ・スミス(同65)数えたらきりがないが、各人みんな頑張っているのである。お爺さんのしわがれた声や初老の歌手の低音の落ち着いたヴォーカルが妙にセクシーだったりする。もったいないので、これをひとまとめに「じぃ~~~ロ~ック」(G-ROCK)として番組中に企画、放送しようと思う。「ロックンロールにゃ老けたけど、死ぬにゃチョイと若すぎる」(ジェスロ・タル)だの「25歳以上生きる意味がある?」(すべての若き野郎ども、モット・ザ・フープル)と歌ったロッカー達が、結局、、人生の晩年をむかえて「今」に叫ぶ詩人の歌。
若者の既存社会への反抗心をエネルギーにして生まれた音楽は半世紀以上の時を経て、このどうしようもない、でも素晴らしい世界に対するアンティテーゼな人生賛歌として新たなパワーを生み出した。アル・ジョルスンの大昔の台詞を引用しよう。「お楽しみは、これからだ。」
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by koyonagamura | 2012-10-12 16:05 | ビーチFM今日の日記2012~
夏バテの夏フェス
湘南ビーチFM 今日の日記  9月から
九月も二週目に入りますと海にも涼しい風が吹き、秋の気配を感じるようになります。夏が消えていくのを察すると、今まで暑い暑いなんて文句言ってた自分が急に変わって夏の思い出話をまとめ始めます。土の中から出遅れた蝉がいくら鳴いても、もう夏はもどってこないのです。「夏といえばロックフェス」なんて番組でいい始めてから随分と年月が経ちました。今年は金曜日放送「男ロック」のボウさん、ヒット・ミーさんにも御同行いただき精神的にはパワーアップしたつもりでおりました。しかし52歳にして初めて折り畳み椅子を持ち込み、後方に座っている時間が長くなりました。一度座り込むと気持ちもレイジーになり、次のバンドを見るのに移動が面倒くさいからや~めた、なんてこともありました。お気に入りのバンドが夜中に出ても体力が続かず、早く宿に帰って温泉に入って一杯飲みたいと、いそいそと帰り支度を始めるのです。朝は旅館の朝食が待ち遠しく、炊きたての御飯とお新香が美味しくて、フェス会場のB級屋台飯なんて不味くて喰えるかい!と、まったく年寄り臭いことを思うようになりました。毎朝、宿で飼っている鯉に餌をあげるのが楽しくて楽しくて、そのために朝のステージに遅れても気にしません。会場に着いたら着いたで知り合いのワイン屋に直行して昼間から千鳥足。今年は、久しぶりにハイキング気分でゴンドラにも乗りました。「やっぱり自然はいいなぁ~~」なんて暫し山を眺めてボケ~っとしておりました。つまり私はロックフェスで何をしていたのか良くわからないのであります。そりゃ、こんな年寄りが若者に交じって毎度ステージ前方で踊りまくっていたら、そっちの方が怪しい。しかし後ろからみんなの背中を見ているもの寂しい、、、。「今年も夏が終わった、」なんて感傷に浸る生活を何十年も続けていましたが、さて自分の人生を四季にたとえれば私は既に中秋だろうか?ロックフェスにいっても温泉や自然の山々、庭の池で泳ぐ鯉、ほかほかの御飯、大好きなワインに目が移ってしまう、そんな年頃なのであります。
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by koyonagamura | 2012-09-21 14:00 | ビーチFM今日の日記2012~
追悼 ジョン・ロード  ビーチFM 8月の日記から
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1941-2012 Jon Lord

ディープ・パープルの鍵盤奏者ジョン・ロードが先月71歳で亡くなった。 私のロック人生は TVのウルトラマンのテーマに始まりモンキーズを通してパープルで開花したので,本当に悲しい知らせだった。訃報を聞いて,久しぶりに聴こうかとCDを探したら実は所有していないことに気がついた。アナログレコードは英,米,独,日本盤で揃えていたのだが、、、それが益々遠い昔のことのように感じた。青春に代替品は無いのだ。
さて、このバンドのどこが一番好きだったのかと言えば,それは故ジョン・ロードの凛々しき口髭である。60~70年代当時ヒッピー文化と相成り,ミュージシャンがまるでクロマニヨン人のように退化していた頃,彼はとびきりハンサムで英国紳士的な風貌をしていた。元来ミーハーで元祖ヴィジュアル系の私は彼に憧れて高校三年の終わりに念願の口髭を生やすことにした。最初の頃は子供だから薄かった。それを気にして、夜,鏡を見ながら隙間の部分を埋めようとボールペンで補足していたくらいだから,ちょっと狂気がかっていた。今でいうアイラインと付まつ毛で目元パッチリの女の子のような感覚だろうか? とにかく私はジョン・ロードのようになりたかったのだ。その後,その対象はフレディー・マーキュリーや藤達也、髪が薄くなってからはショーン・コネリーに受け継がれ,私は人生の大半を髭と歩むことになった。当時の日本では髭を生やして会社に出勤することは許されていなかった。よって、私はいかなる時も髭を剃らないですむ道を選択したが,今になって考えると,それがどれほど自分の人生にプラスになっていたか気付くのである。したがって,ジョン・ロードは僕の人生に一番影響を与えた人物である。あの日以降,彼を追悼する名目でカラオケでパープルを歌うことが多くなった。夜の銀座の街に音程の外れた雄叫びが響いていたら,そっと店のドアを開けて覗いてみてください。それは私です。
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by koyonagamura | 2012-08-23 14:19 | ビーチFM今日の日記2012~


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